【心理学】映画【えんとつ町のプペル】の批評考察 モヤモヤしてつまらないと感じる人も少なくない

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©西野亮廣/「映画えんとつ町のプペル」製作委員会 引用元:https://poupelle.com/

【心理学】映画【えんとつ町のプペル】の批評考察 モヤモヤしてつまらないと感じる人も少なくない

映画『えんとつ町のプペル』の批評が賛否大荒れですね…映画の中で起きてることが、映画をめぐっても起きている感じ。

心理学的にその状況を引いて観てみると凄く興味深いものが見えてくるね。しかも、自己成長に役立つものが見えてくる。

では、映画『えんとつ町のプペル』の評判をめぐっていろいろ考えてみましょうか。

映画『えんとつ町のプペル』を観た感想や見どころはこちら↓の記事で紹介しています。

映画 えんとつ町のプペル レビューサイトで大荒れ

映画『えんとつ町のプペル』の感想が賛否両論、極端に分かれているようですね。

映画のレビューサイトと言えば有名なのはYAHOO映画映画.comフィルマークスです。
総合的な評価ポイントはどこも5点満点中で3.2~4.2点の間くらいなのでコレは決して悪くないですね。むしろ1本の映画の評価としてかなりいい方だと思います。

レビューサイトは客観的に観たときにその映画を観るか観ないかの判断の参考になるし(世の中が求めている基準での)作品の質を予想するのにも役立ちますね。
でも、また、映画を実際に観た後に人の感想を観て「そうそう!」と共感したり「ああ、そういう見方もあるのか」「そういう解釈もあるのか」と勉強になることも大変多いです。

この映画『えんとつ町のプペル』のレビューを観ていると、映画に人が求めるモノって本当に人それぞれなんだなというのがクッキリ見えてきます。
そして、意外と感情的というか、決めつけすぎていてもったいないな…と感じるようなレビューも多いことに気づきました。
それを言えるということ、それを感じるということは自分と向き合うチャンス、自分を成長させるチャンスなのにただの不満のはけ口で終わっている…というもったいなさです。

実は映画『えんとつ町のプペル』に限ったことではありませんし、映画に限ったことでもありません。
ドラマ、アニメ、漫画、小説、絵本。

物語に触れて色々感じたことを表に出す…そのことへの普遍的な問題でもあります。
映画『えんとつ町のプペル』はとくにいろいろな人たちが観て、さらにいろいろ語りたくなっているようですから、そういうことを考えるのにちょうどいい機会だと思いました。

©西野亮廣/「映画えんとつ町のプペル」製作委員会
引用元:https://www.toho.co.jp/

映画 えんとつ町のプペル 映画産業の外の有名人が作った映画の宿命

当然ですが普段から映画製作を生業としていない有名人が映画を作る…ということでの宿命は背負っちゃってますよね。
よく言えばそれだけ注目されているということ。

キングコング西野亮廣の映画『えんとつ町のプペル』

お笑い芸人コンビ・キングコングの西野亮廣さんが出した絵本が原作となっている映画。そしてこの映画では製作総指揮と脚本も手掛けています。
西野亮廣さんはプロモーションにも積極的ですから彼の絵本やビジネス書、その他の活動を知らなくてもこの映画を「西野亮廣が作った映画」だと認識している人は多いでしょう。

映画『えんとつ町のプペル』に期待をした人たちの幅広さ

普段あまり映画を観ない人たち

キングコングの西野亮廣さんが作った映画としてプロモーションも大々的ですからそれだけでも注目を集めています。それはつまり普段はあまり映画を観ない人たちにもこの作品のことが届くということですよね。映画ファンじゃないけどお笑いファンとか、映画ファンじゃないけど西野亮廣さんの活動を応援している人とか、映画ファンじゃないけど西野亮廣さんの絵本を子どもに読ませていたお母さんとか、映画ファンじゃないけど西野亮廣さんのビジネス書は読んでいたビジネスマンとか経営者とか…
ところがさらにそれだけではありませんね。

生粋の映画ファンたちにも

映画『えんとつ町のプペル』は本格的なCGアニメーション大作です。テレビでCMも流れましたし『鬼滅の刃』を劇場で観たときも予告編が流れていました。きっと『ドラえもん』やその他の作品でも予告編は流れていたでしょう。あの予告編を観るとわかりますが有名タレントが作っているということは関係なしに新しいCGアニメーション大作映画がまた出来たんだなと感じさせます。
つまり、映画館によく行く映画ファンの目にも止まって、純粋に一本の映画として映画ファンも注目するわけです。
『ポケットモンスター』や『セーラムーン』のような、いわゆる映画ファンはあまり観ないという特定の層向けの作品ではなく、『スターウォーズ』やら『テネット』やら『トイ・ストーリー』やら『万引き家族』やらを観ている人たちが注目するクオリティーを醸し出しているわけです。

レビューは書いた人の基準で書かれている

レビューサイトもエンターテインメントの一部として一喜一憂しながら読むのはいいですが、これだけ多くの立場の人がさらにその人たちひとりひとりの人生の積み重ねによる価値観を持って「いい」「悪い」と言っているものですよね。
自分が映画を観るときもそう。いろいろな経験があって好みが出来上がって、またその日その時の体や心のコンディションもある。だから作品について「いい」「悪い」を発信するときも読むときもそのことを念頭に置きたいですよね。発信するときに願わくは「いい」はまだいいとして、「悪い」は極力避けたいですね。本来、正しい評価の仕方は「好き」「嫌い」なんだと思います。

どんな作品へのレビューもそうですが、そういう視点を忘れずに読んだり書いたりしたいなと思っています。

…とはいえ映画『えんとつ町のプペル』です。

わたしもこんな記事を書きたくなるほど、人を動かす何かがあると思っているんですよね。その中でもなぜレビューがこうも荒れるのか?マイナスの意見がなぜああも辛らつなのか?その辺りを中心にさらに掘り下げます。

映画 えんとつ町のプペル は取り巻く環境も作品自体も挑発している

映画『えんとつ町のプペル』は感動して高評価をしている人の中には、これまで観てきた映画の中で一番良かったとか、レビューなど書いたこともない人が初めて感動したことを書きたくなったという人がたくさんいます。コレだけでも大成功だとは思うんですけどね。
ただ、極端に高評価がある一方で極端に低い評価もあります。
評価がわかれるのはどんな映画でも当たり前のことなのですが、特に映画『えんとつ町のプペル』はマイナス評価をする人たちを挑発しているような要素も他の映画よりもかなり多いと思っています。本当の本質的なことをいうと、挑発されている側が勝手に挑発されているように感じているだけ(ほとんどは自覚もないままに)なんですよ。自分の心のカラクリに気づいていないだけ。

映画 えんとつ町のプペル は取り巻く環境が挑発している

西野亮廣さんの挑発

西野亮廣さんご本人はもちろん人を挑発しようとは思っていないはずです。インタビューやyoutubeで垣間見える彼の人柄を観ると自分を批判していた人たちの事ですら自分に助けらえれることがあるのなら助けようとする。そんな人なのがわかります。もちろんひとりの人間ですから成人君主のようには観ていませんよ。それでも、作品に込められているメッセージとその枝葉の表現を観るだけでもかなり純粋で心の広い人であることは間違いないでしょう。それと同時にその純粋さを守り貫く強さやしたたかさもちゃんと持っているし、能力も実力もある。これだけでも面白くなく感じる人は多いですよね。つまり嫉妬。

西野亮廣さんのサロン

ビジネスやインターネットビジネスの知識がある人の間ではオンラインサロンやオンラインコミュニティというのは当たり前のものです。今となっては…ですけれどね。メンタリストDaiGoさんの『Gラボ』なんて化け物級のオンラインコミュニティですよね。西野亮廣さんもオンラインサロンを日本で広めた先駆者てきな人のひとりです。でも、これは昔からそうですが、ある特定の人が始めたコミュニティーは周囲の人からは「怪しい」と言われたりするんですよね。わたしは心理学のゼミナールに通って心理学を学びましたがその時も「怪しい」「スピリチュアル系?」「怪しい」「自己啓発系?」「アブナイ」みたいな好き勝手な視線が少なからずありました。「騙されてるんじゃないか?」「洗脳されるんじゃないか?」そういう疑念があるんでしょうね。
西野亮廣さんのサロンは『エンタメ研究所』というオンラインサロンです。映画『えんとつ町のプペル』でも原作の絵本の段階から映画完成後のプロモーションに至るまでこのサロンメンバーの人たちが活躍しているので、彼らを指さして「西野信者」なんて言って怪しがる人も少なくない。つまり得体のしれないモノを恐れて攻撃しているという図式。

映画 えんとつ町のプペル は作品自体が挑発している

メッセージが観た人の人生観を挑発

ひとり黙々と正しいと思うことを続ける人を見て異端扱いする。「アイツ何やってるの?」「おかしいんじゃない?」「意味わからんし」「上手くいくわけない」…。そういう意見、視線、空気に屈することなく夢を見続けることの大切さを描いているのが映画『えんとつ町のプペル』です。つまり、西野亮廣さんがやってきた活動そのものが作品の物語そのもの。しかも、創作物語として抽象化したことで西野亮廣さんのこともエンタメ研究所のことも知りもしなかった人たちにまで届くようになりました。そんな人たちの中の「空気を読め」「常識を持て」「真っ当に生きろ」という圧力をかける側になってしまっている人たちにも届いちゃう。つまり作品自体が「常識」や「空気」を相手に挑発しているように受け取られかねないわけです。作品を注意深くみると決して挑発なんかしていないことも丁寧に描かれているんですけどね。

アンチ西野さんと西野さんのファンを挑発

西野亮廣さんはもともとテレビで人気を博した「はねるのトびら」などでお笑い芸人として大ブレイクした有名人です。その後の活動はお笑い芸人とは全く違う活動での活躍が凄いので、アンチ西野という人もたくさんいる。これは有名税みたいなものですよね。アンチがいるのは有名人の常。まず、変わったことをして目立つということはアンチにとっては絶好の攻撃のチャンス。へぼいけどわかりやすい。
でも、映画『えんとつ町のプペル』では西野さんのファンやサロンメンバーでさえも挑発されちゃっている人が多いようです。実際に映画を観てサロンを抜けたという人もいる様子。つまりは西野さんへの期待の大きさと反動ということだと思います。でもそれも、本来は自分だけの作品を見る基準による判断なんですけどね。その人が作品を見てそう判断するのは当然、その人にとっては大切なことでしょうからいいとして、「作品が良くないから」「映画を観てがっかりさせられたから」というレビューになっているのは残念だなと思います。

映画ファンを挑発

どれどれ、映画のプロではない芸人風情が映画を作った?それじゃあお手並み拝見と行きますか…。映画ファンからすれば映画畑以外のところからやってきた作品にこのような目を向けるのはもう自然な流れです。わたしも少なからず思っちゃいました。西野亮廣さんだけではありません。北野武監督が映画を出し始めた初期のころもそうでしょう。映画ファンは映画人が作る映画ですら「どれどれ今度の出来はどんなもんかね」という気分をもって観ちゃうわけですから映画人以外の作品ならなおさらだし、予告編を観て本気を感じさせるような作品ならなおさらですよね。コレは映画に限らずどんな業界でもそうでしょう?
例えば「アカデミー賞受賞脚本家がお笑い芸人※※のネタを書いた!これからはお笑い作家へ転身!」なんてことがもしあったら、お笑いファンは「笑いをどこまで理解しているのかね~」なんて視点で観ちゃうはずです。物語創作の世界でも、例えば脚本家が小説を書く、小説家が映画の脚本を書くなんて場合にも同じような視点にさらされるわけです。
そういう意味で、映画『えんとつ町のプペル』は本気を感じさせる予告編なだけに海外の映画で目の肥えている映画ファンの批評欲に火をつけたはずですよ。
客観的に観たらわたしもその一人だし(笑)

映画 えんとつ町のプペル に反感をもったら

…ということで、映画『えんとつ町のプペル』は有名タレントが作ったどの映画よりも、そして普通の映画人が作った新作映画よりも、いろいろな面でそもそも攻撃したがっている人たちのカモにもなりやすいし。普段は攻撃したいなんて思っていない人たちの心もついつい攻撃的にさせてしまう要素を持っているんです。

この記事でもっとも注目したいのは、攻撃したくなる感情です。普段から攻撃したい人もそうですが、普段はそうは思っていない人もそういう気分になるという部分は結構重要な部分だと思うんです。

映画『えんとつ町のプペル』が描いた世界そのもの

レビューサイトの批判を観ていると、映画『えんとつ町のプペル』の中で描かれた世界がレビューコーナーの中でそのまんま繰り広げられていますよね。悪く言う人を悪く言いたいわけでも、称賛している人を称賛したいわけでもありません。
ただ一つ、モヤモヤ、反感、いら立ち、怒り…もしもそういう感情が少なからず湧いたのであれば、そしてその感情を自覚したのであれば、それは成長のチャンスだということは書きたいなと思いました。
くれぐれも誤解のないように書くと、映画『えんとつ町のプペル』を高く評価できる人が成長している人で低く評価する人が成長できていないという意味でもありません。

映画『えんとつ町のプペル』がチャンスなワケ

これは、わたしがこのブログにストーリーセラピーというタイトルをつけた根本的な部分なのですが、作品を見て感じたことを自問自答する。物語とはもともとそういうことのための装置だと思っているのでこのブログをはじめました。
特に不満や怒りのような負の感情はチャンスです。

で、映画『えんとつ町のプペル』という作品は、プラスの感情もマイナスの感情も多くの人が反応している作品で、レビューを観ていても反応の仕方が本当に人それぞれです。

つまり観た人それぞれに成長ポイントがめちゃくちゃ多いということだと思うんですよね。なのでチャンスですよね成長の。
コレはまた数ヶ月、数年後に見返した時に感じることが変わっているかもしれない作品だと思います。

モヤモヤ、反感、いら立ち、怒り…を感じるとき

これはそもそも、映画や物語に触れるときだけではなく人に対して同じです。すこし身もふたもないというか、反感も買うであろう結論を書きますと。

モヤモヤ、反感、いら立ち、怒りなどを感じるときはまず相手を責めるのではなく自分の心をしっかりと捉えた方がいい。というのは心理学でも禅でも原則です。
例えば極端な話、誰かの行動に腹が立つとして、その行動がその人が合う全ての人を腹立たせているならその人が悪い可能性が高いでしょう。しかし、その人のその行動をあなたのように気にする人がいる一方で気にならない人もいるということであれば、その人が悪いと言うよりもその人やその行動への受け手側の解釈によって感じ方が違っているということですよね。

映画『えんとつ町のプペル』の主人公ルビッチの言動への他のキャラクターの反応も色々でした。多くの人がマイナスの反応でしたがマイナスの反応の中でも「何を言ってるんだ?」とバカにする人、無関心な人、腹を立てる人、心配をする人…とそれぞれ反応が違いました。それだけでも反応する側が何を観ているかで違うことがわかりますよね。反感を持っている人の中にも、得体が知れないものよく分からないものへの警戒心からくる反感と、セリフでもありましたがかつて自分が諦めたことが否定される気がして反感を持っている人もいる。反感は反感でもまったく違う種類の反感です。

ルビッチのことを心配してのことであろうが、憎しみや否定に近い感情であろうが、それらの感情に耐えきれないからイラついてルビッチを攻撃したり、触れないようにバカにしたり無関心を装う。禅的な言い方をすると自己防衛本能なんですよね。自分を守るための鎧。
心理学では第二感情といいます。自分の中にある脅かされる中心、おそれや恥ずかしさ、悲しさ、驚き、寂しさ…などなど耐えがたい感情=第一感情から自分を守るための第二感情が怒りや不満として表れる。

でも、相手に不満や反感・怒りをぶつけていたって、自分が抱いた(抱きそうになった)第一感情を見つめない限り成長はないわけです。そもそも相手が悪いとは言い切れないことの方が多い。例えば相手が自分や大切な人に危害を加えようとしてきているとき以外は。

大きなお世話なのは承知の上で書くと、映画『えんとつ町のプペル』のレビューの中には、そんな「成長のチャンス」を感じさせるような不満・反感の気分が散見できます。

映画『えんとつ町のプペル』をみて、ジャンルの好き嫌い、音楽の好き嫌い、画のタッチの好き嫌い。メッセージ性よりも気持ちよさを優先したいという好み。童話的なあいまいな部分よりもディールのリアリティの追及が好き。そういった個人の趣味趣向はもちろんあってしかるべきで何ら責めるべきものではないので、それらが合わなかったというのは全然問題ないと思います。

ただ、「薄っぺらい」と感じてしまっているとしたら要注意だと思います。

評価への考察まとめ

映画ファンでもない人が観て感動する、そのことがもう素晴らしい作品であることを物語っています。「新鮮味がない」「新しいことはしていない」などの意見は良く映画を観ている人のものでしょう。でも、映像は最新の技術だし寓話らしいメッセージの込め方だし、映像で語って欲しい映画ファンだけではなくもっと多くの人たちに届くように言葉で沢山説明するという方法論はあるでしょうし、いろいろな映画を観てきて初めて何度も劇場に行きたいと思ったという人がいることだけでも新しさや新鮮さという役割もその人に対しては果たしているものでしょう。アンチのレビューを観ていても、視点を変えればコレだけの多くの人の気持ちを動かしたという証拠です。この映画に出てくるルビッチやブルーノ、プペルへの大勢のアンチの視点。アンチから応援する側に回った人たちへのルビッチの態度。明かされるえんとつ町の成り立ちの秘密。わが子を応援したいけど守りたい親心が言わせるセリフ。その他の枝葉の演出。それらを観て意味を考えると「薄っぺらい」は到底出てこない。それでも薄っぺらいと思わせる感情。なにか認めると自分の何かを否定されかねないという気分が心の奥に潜んでないですかね?
それを考えてみるチャンスなのは間違いないですよね。

 

全ての物語のために

 

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