ドラマ テセウスの船 2話

引用元:https://www.tbs.co.jp/theseusnofune/
用心してし過ぎることはない…それホント?
わたしは人を疑ってがっかりされたこともあるし、警戒しすぎて受け取れなかった喜びも沢山あります。
もちろん無防備でダマされたこともないとは言えないですが…
ドラマ「テセウスの船」
第2話
を観ました。
この記事は、ドラマ「テセウスの船」第2話のあらすじや感想、見どころを紹介します。若干ネタバレします。ネタバレが気になる方は先に作品を楽しんで下さい。
また、ストーリーセラピーでは、疑うと損する話を書いています。
あなたが、ドラマ「テセウスの船」のドラマやマンガに興味を持ったり、勝手な誤解で人との関係を悪くしないための一助になれば嬉しいです。

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ドラマ テセウスの船 2話 ネタバレあらすじ
平成元年にタイムスリップした田村心(竹内涼真)。
佐野家や木村さつき(麻生祐未)の計らいで音臼小学校の臨時教員として働くことに。
「ここで事件が起きる…自分がそれを止めるんだ…」
そんな思いで働き始めた心。
心は父・佐野文吾(鈴木亮平)と村で起こる事件を阻止していくことで父が逮捕される過去を変えようと考えます。
妻・由紀(上野樹里)の事件ノートによると3日後に田中義男(仲本工事)の家が火事になることが記されていました。
文吾と相談し田中家の警戒に向かうと、そこで気味の悪いウサギのような絵と、少女2人の絵が描かれたノートを発見します。
その翌日、心が出勤すると、ウサギ小屋でウサギが殺されているのを発見。
では、少女の絵も事件に関係しているのか??
そして数か月後に起きる音臼小事件に関連しているのでは…
そんな心の不安は的中し、鈴(白鳥玉季)翌日行方不明になるはずの友人と一緒に行方不明になり村は大騒ぎになるのでした。
想定外の事件に心は動揺します。
そんな中で心のノートを観てしまう父・文吾。
慌てて取り上げたことで文吾と心の仲に亀裂が入り…。
ドラマ テセウスの船 2話 感想と見どころ
お、お、お、おもしれぇ~!!!!
って、観ながら言っちゃいました。
少し前まで観ていたドラマ「監査役 野崎修平」とはまた違った面白さ。
タイムスリップミステリーですからね。
ビジネスエンターテインメントとはまったく違います。
ミステリーの王道…全員容疑者。
タイムスリップによる歴史の改変。
そこに家族愛というテーマを貫くジャパニーズマンガエンターテインメント。
視聴者をジラすのが上手い!
観ているわたしたちをいじめるいじめる!
「もうイイじゃん!言っちゃえよ!」
「うだうだしてないで人に聞け!」
「バカ、それじゃ警戒されるだろ!」
「志村うしろ!」
って、もう観ながらワーワー言いたい(笑)
日曜劇場の常連の役者さんたちが出てるので悪く言えば代わり映えしないメンバーなのかもですが、逆に安心して物語の世界を楽しめるというのもあります。
なんでしょうね~
こういう作品に出会えるから、やっぱりドラマのチェックもやめられないんだよな~
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ドラマ テセウスの船 2話【考察ストセラ】人を信じられない人へ
人の思いを勝手に決めつける人がいます。
…わたしもよくやってしまう。
自分が人に誤解を与えた場合は
「そんなつもりはなかった」
と言ってしまうのは自分を受け入れていないのと同じ…
そんな風に自分を厳しく戒めることもできます。
反省して次に活かす。
そうやって成長していくしなかい。
でも、人の
「そんなつもりはなかった…」
は…、自分の時とは考え方を変えた方がいいと思っています。
自分がしたことで相手が誤解をしたとして「そんなつもりはなかった」は言い訳。
相手が受け取ったように伝わってしまったことは素直に受け止めて、どうすればこちらの意図がちゃんと伝わったのか?
それを自分の責任として考える。
コレって自分自身に課す課題だと思います。
「おまえが理解しないのが悪い」
これじゃあ、進歩しません。
人のせいにしていたらね。
だから自分の反省点を受け止める。
でも、自分がそういう考え方で生きているからといって、人の振る舞いで気分を概して、先方が「ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんです」と言うとき…
「理解しなかったワタシが悪いんじゃなくて、ちゃんと伝えなかったアナタが悪い。ワタシはそうやって生きている!」
というのは違いますよね。
ってことです。
この場合は、
「自分は相手のあの言動をなんで自分が嫌な気分になるような受け止め方をしたんだろう?」
「そもそも相手は本当にそんなふうに思わせるつもりだったのかな?」
と、考えるのが正だと思います。
人の行いで自分が気分を害するということは、ほとんどの場合相手の善意を悪意として受け取っています。
なぜそうなるのか?
ダマされるんじゃないか?
損させられるんじゃないか?
傷つけられるんじゃないか?
イジメられるんじゃないか?
と警戒して疑っているからです。
…じゃあ、もう1回、見る立場を入れ替えますね。
相手があなたにダマされた、イジメられたと傷ついたら…
「あなたはワタシを疑っているのね!?」
と怒っちゃダメですよねってことになりますよね。
なぜ、そんなふうに受け取られてしまったのか?
「そんなつもりじゃなかった」
でも
「アンタがワタシをそう言う目で見てるってことね!」
でもなくて、誤解を招いたことを受けて詫びて、次に活かす。
わかります?
良いことはおかげさま 悪いことはワタシ自身の責任
この姿勢がないと、人って成長しないし、自分で自分を損する方に追い込んでいくことになります。
せっかくの善意を受け取れず、自らはねのけることになりますからね。
そこに喜びが待っていても、
「裏切られるんじゃないか」
「傷つけられるんじゃないか」
「がっかりさせられるんじゃないか」
と警戒して結局行動にも移せない。
自分で自分の世界を狭めて人を責めて、どんどん自分で生きづらくしていく。
幸せになりたいから警戒しているはずなのに、本末転倒ですよね。
無防備がイイとは言いませんが、警戒も健全でありたいものです。
そのためには、自分の人生を引き受ける覚悟は必須です。
さて、ココからはドラマ「テセウスの船」第2話の一部ネタバレになります。
まだ、見ていない方、ネタバレは知りたくない方は先に作品を楽しんでください。
心の母は心が物心ついたときから「父親はいないと思え」と言って子供たちを育ててきました。
心は母は父を信じていない。憎んでいるんだと思っていたようです。
しかし、タイムスリップして出会った事件前の笑顔の家族。
その頃の母に、友人の話として自分が育った家庭の様子を話すと若い母は「アタシも同じことを言うかも」と言います。
なぜか?
親がいないと思うことで少しでも子の笑顔を守れるなら、少しでも責めを負う気分を軽くしてやれるのなら親なんかいないと思ってくれた方がいい。
お父さんもきっとそう思っている。
「お父さん、これで良いんだよね」
って思いながら、わが子にはそう言うだろう…と。
心はただそれを受け止めて「スゴいな」と言いました。
「じゃあ!母を疑った俺の31年は何だったんだ!」
なんて言いませんよ。
また、親だったら子供たちには親を信じる気持ちを持てるように育ててやった方が…
あるいは、父を信じる母の姿を見せてやった方が…
強く幸せに向かって生きていける大人に育つんじゃないか?
…みたいな意見も出てくるかもしれません。
結果、笑顔のない不幸な家庭だったのであれば…とか。
でもどっちが正しいか間違っているかではないんですよね。
大事なのは、子供たちの幸せを第一に願う親の気持ちがそこにあるという事実そのもの。
それをそのまま受け止めた心。
だから、このシーンが感動できなんですよね。
幸せを受け取るってこういうことなんだろうなと思います。
疑っていたら…決めつけていたら受け取れないもの。
人を信じられないのはつらいですよね。
孤独だもの。
焦らなくていいけど、この回はそういう自分の今をじっくり見つめるのにいい参考になるんじゃないでしょうか?
全ての物語のために
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